【子どもの罪悪感】安倍先生!カツオの作文パクったのはわたしです。
小学校2年生のとき、「お母さん」というタイトルの作文を書きました。
詳細は忘れてしまいましたが、
「お母さんは自転車をこぎながらいつもルルル・ラララと歌を歌っています。とても陽気なお母さんです。」
「お母さんはとても優しいです。わたしが熱を出したとき、なんどもアイスノンを変えてくれました。」
「でもときど怒ります。この前も妹がじゅうたんにクリームをひっくり返しちゃって、お母さんはカンカンになって怒りました。」
という風に、お母さんの喜怒哀楽を面白おかしく綴り、
オチには、
「おもしろいお母さん、優しいお母さん、怖いお母さん、いろんなお母さんがいるけれど、でもどれもみんなわたしの大好きなお母さんです。」
という大人のハートを鷲掴みにするようなキラーフレーズまで用意されていました。
小2にしたら出来過ぎた作文です。
それもそのはず。
今はじめてカミングアウトしますが、実はこれ、カツオのパクリなんです。
磯野カツオが「うちのねえさん」というタイトルで書いた作文をほぼまるパクリしましたw
テレビで見たのを覚えて、そのまま作文にしました。
盗作だと気づきもしない担任の先生は、この作文を大絶賛。
巨大な花丸をもらい、教室の後ろに張り出されました。
授業参観に来た母も恥ずかしそうにうれしそうにしていました。
でも、このときのわたしは、作文が盗作であることがバレて大ごとにならないかと、死ぬほど怖かったんです。
誰にも本当のことを打ち明けられず、「バレたら先生に怒られる」「バレたらお母さんを悲しませる」「バレたらみんなに責められる」、そんな風に思っていたと思います。
張り出された作文が他の掲示物に変わる日を、どれだけ心待ちにしていたでしょうか。
きっとそんなに長い期間ではなかったでしょうが、大きな罪悪感、恐れ、恥、無価値感、そのようなものを小さな胸にギュッと押し込んで、バレないようにと祈るように過ごしていたと思います。
そんなことがありました。
何で急にこの話を書いたかというと、
別にみなさんに当時のわたしに同情してほしいわけでも、懺悔してスッキリしようと思ったわけでもなく、
子どもってこういうことでも心に傷を抱えるんだよということをお伝えしたかったんです。
「悪いことをした」と思って、誰にも言えずに心にしまっていること、きっとみんなひとつやふたつありますよね?
- 自分がやった失敗を小さいきょうだいになすりつけたこと。
- 近所のお家にピンポンダッシュして逃げたこと。
- 立ち入り禁止のところにこっそり忍び込んだこと。
- 隣の席の子から借りた消しゴムを返し忘れて借りパクしちゃったこと。
- お友だちのうちのトイレを汚しちゃったけど、言えずにそのまま帰ってきちゃったこと。
そんな子ども時代の小さなできごとでの罪の意識が、あなたの中に癒されないまま傷として残ってはいませんか?
大人のわたしたちにとってはちょっと笑っちゃうような取るに足らないことかもしれませんが、子どものあなたは悪いことをしちゃったことが怖くて、誰にも言えなくて、でもバレたらどうしようって不安な思いを抱えていたと思います。
おおげさなって思うかもしれませんが、そういうことで積もり積もった罪の意識が、「わたしは幸せになってはいけない」と今の幸せを禁止してしまうことだってあるのです。
もし、この文章を読んで何か思い出した出来事があったら、胸のあたりに手を置いて、
「話してくれてありがとう。悪いことをしたって思ってるんだね。大丈夫。わたしがちゃんとお話聞いたから。」と小さなあなたに声をかけて安心させてあげてください。
そして、そのときの被害者に向かって、「あのときはごめんなさい」と代わりに謝ってみてください。もちろん本当にではなく、イメージの中で。
そんなわけで。
安倍先生、あれは盗作です。ごめんなさい。
お母さん、ごめんね。あれはカツオのパクリだよ。